自らの凡百なるを知ると雖も
刻苦を厭いおののくのみの鈍物なれば
真の愚と我知れど
而して此底にて蠢く澱の様な虚無と憂鬱の鉄鎖の如きを以て
我が足枷を外す能はざることのなんと苦痛か
世に遍く腸九廻の念、断腸の念とも表さるれど
げにさあらむいたみが日毎我を襲い来るは誰が沙汰の果てなるか
臆の詰まりが心の臓を締め付けることのなんと耐え難いことか
腹底から抜け切らぬこの鬱屈は我が責にてか
右なる腕脚の外るるは我が罪にてか
我が身成らずして我が路成るべきか
此の苦悶は真に我が枷なるか
薄氷なる我が心の砕かれざるは何をばしてか
誰そこの輪廻から我を救い給え
- 2008年06月12日(木) 10:26
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古びた神社の階段で 夕暮れの町を眺めていた僕
ポケットに忍び込ませた一束の夢は 少し拉げて頼りなさそうで
いつかの夏の日を振り返る あの日もこんなに暑かったっけな
むせ返るような 灼けた路地裏を歩こう
君のもとへ
線香花火の灯した星空に 君は何を思っただろう
今の僕には何も見えやしない 瞼を閉じているから
冷たく蒼白く染まった夜 この木立には誰も来ないけど
三日月は全てを曝し出すようで 少し俯いて涙を隠した
あの夏の夜に もう一度だけ帰れたら
君のもとへ
月のよく照る夜は空を仰ぎ 閑寂の中で薫る風
最後に刹那輝いて魅せた 瞳の奥の灯火
閃光花火を月夜に散りばめて 君を永遠に刻もう
あの夏の夜には帰れないけど 今ここで歌うよ
月の輝く空に手を翳し 寂寥の中で君を待つ
最後に刹那輝いてみせる 星屑もない空で
- 2008年06月07日(土) 00:15
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去る四月の某日、私たちは出逢いました。
あの公園、あのベンチで。
おそらく私とあなたが顔を合わせたことは、以前にも有ったとは思いますが、真っ当に出逢ったのは、これがはじめてだったでしょう。
桜の舞い、陽光のくすぐったいような日でした。
あなたは、他の人とは違いました。
贈り物をしなかったり、無闇に撫でようとしなかったり。
遠すぎず、近すぎず、気ままにベンチで横になって微睡んでいただけなのがあなただったのです。
大抵の人は私に贈り物をして気をひこうとします。
また、隣に腰を降ろせば、普通は掌を頭に置かれることを覚悟せねばならないのです。
しかし、あなたはそのようなことはしませんでした。
私は、いい加減にもう、普通の人の即物的な贈り物にうんざりしていましたし、何よりも、私の普通とは全く違うあなたに興味があったのです。
もしかすると、偶然にも私が見えなかったのかもしれない。
そう思い、私はあなたの微睡むベンチへ近付きます。
腕を枕にして、空を見るのか瞼を見るのか。
私は私を見せました。
ここで、あなたが今までの人たちと同じように変わってしまうのではないかとも思いましたが、幸いと言うべきか、あなたは、当初の予感通り、やはり他の人たちとは違いました。
けしてあなたはあなたから私に触れようとしなかったのです。
かといって、私に無関心かというとそうでもなく、あなたは私との距離を適度に保っていたのです。
少なくとも私から見ればそうでした。
それまでの即物的な愛に泥濘んでいた私の心に、あなたは簡単に轍を残せたでしょう。
しかし、あなたはそうしなかった。
あくまでも、轍を残したのは私だったのです。
いつだって私は気儘に在りました。
その調和には、自分以外の存在に依存しないという前提が組み込まれていたのです。
私は、他のものの様に毛並みや小綺麗さを求めるという虚栄的な束縛から解放される代わりに、自らに内包された自殺因子については結局無防備なのでした。
自縄自縛の中で、私は何時あなたの様な不協和音に気付けたのでしょう。
否、或いはこの不協和音こそが、楽曲に於ける必然だったのかもしれません。
しかし、心地よく聴こえた余分な音は、永久に消えることのない轍を残したまま、私の泥濘を乾かしてしまったのです。
癒えることのない渇きに、消えない轍に、私は彷徨い、幾度も足を取られました。
気付けば私の体は埃まみれになってしまって、私は何時しか雨を求める様になっていました。
以前忌み嫌っていた豪雨を。
それは、その時の私には、縄を溶かし、轍を消してしまうカタルシスの如く感ぜられたのです。
斯くして私はあなたの本を離れました。
然りとて、詰まるところ縄は以前の柔らかさを失い、轍は更なる猥雑さを携えて再び私を苛立たせました。
私は、私は、またしても欲求の方角を戻してしまったのです。
あなたという太陽を求めて。
私が求めていたのは、柔らかな春の日差しでした。
しかし季節は色を変え、私の気付かぬうちに太陽は残酷さをもたげて照らしつけました。
陰などなく、増してやオアシスもなく、私は此処に至って初めて夏を呪いました。
今までであれば、繁々とした緑葉の下で寛げたのですが、私は自らの手で大樹を枯らしてしまっていたのです。
灼けつく盛夏に、涼ろやかな晩夏を所望したのですが、時流は私の苦悩など余所に蒸し暑い晩夏を終えて、幾分涼しい秋の夜を迎えていました。
私が枯らしてしまった大樹にはもう青葉は繁りませんが、それでも他にいくらでも樹は青々として在りました。
私はそのうちの一つ、あのベンチから程良く離れた樹下に寝転がり、空を仰ぎます。
するとそこには雲一つない、蒼い蒼い月がぽつねんと居たのです。
私は月光に刺された様な気になりました。
嗚呼。
端から琥珀も瑠璃も求めなくて良かったのです。
透き通る翡翠だけで、私には事足りた筈だったのかもしれません。
然し、私は琥珀を求めてしまいました。
となれば、翡翠は私の心を捉えることはできないのです。
かと言って、琥珀を手に入れることもかなわないでしょう。
ならば、
私は雨中の月の下、ベンチの見える泥濘に身を横たえました。
其処ならば、あのベンチからも僅かに見えるだろうと思ったのです。
私に積もった埃は、責めるような雨が全て流してくれました。
私が其処に眠ることを決めたのは、あなたという不協和音に対する当てつけからだったのかもしれません。
きっと私の痕は来年の春まで残るでしょう。
来る冬の霜が今年は優しい、そんな気がしたからです。
- 2008年04月21日(月) 21:14
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雨桜
漏れ出づる ひかりもなくて 淡昏く 咲きたる花に 菫染むれば
朱塗りの 杯満たす 一雫 浮かぶひとひら 幽かにあまく
憂き人に 濡れにし口を 潤して 今日も眺むる 錦のかけら
恋い募る あの背を待ちて 髪梳けど あはれ今年の 春も過ぎらむ
秋の夜に 一人寝るとは 云わねども のどけき春の 雨ぞ憂き哉
春霞 外山の尾瀬に 立ち給へ 愛しき人を 夢見せ給へ
蓮華草 咲きたる頃に 逢ひつらむ 葉桜の下 共に眺めむ
- 2008年04月10日(木) 21:18
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『私が思うに、世間一般では人間の三大欲がどうの、と知れ渡っているようだが、考えてみたまえよ、三大欲として挙げられる食欲・性欲・睡眠欲は、全て種が、肉体が、存続するための欲であることからしてこれらは「残存欲」「存在欲」と括ることができるのではないかね。然し、この場合に於いて、哲学的観点から鑑みるに、存在と生活とは明らかな違いがあるのではないかね。多くの方は先程の三大欲を生存の為の要素欲と捉えているようだが、私は、甚だ違うと言いたい。其等は存の要素を含有してはいるかも知らないが、生の要素は、断じて、欠片も有してはいない。其等三大欲の出づる由縁である哲学に於いて、我ら人間にとっての「生きる」とは、思考の連鎖であるからだ。思考を止めた肉体的残存ならば、ええ、不朽の死体と等しかる存在に過ぎないのであります。人間として、理性の保持者として、生活に必要な要素は、残存欲・存在欲唯とは言い難いのではありませぬか。ならば、人間の理性を理性たる物に仕立て上げているものは何なのか、その迅速な究明が要されるのではありませぬか。然し我々は幸いだ、我等人間の飽くなき探求心は、古より、紛うことなく、
快楽へと向けられ続けてきたのであります。更には、快楽、それも文化的側面を有しない、原初的な快楽探求の終の静寂は、等しく破壊、死殺という、生存とはかけ離れた、自滅的な場所に居住をひたすらに続けてきたのであります。これらを考慮するに、我々人間には「存在欲」と「自滅欲」という二大欲として括られた数多の願欲が込められているのではないでしょうか。此等二大欲の多数派に因って少数派が疎んぜられてきたことを鑑みるに、私の、罪と裁かれた行為も、人の業として、愚かなる彼の者等が、至福と称される甘利を貪るに等しく値する、賞賛の、羨望の眼差で付価されるのは自然の、人間の本来の摂理と云えるのではないでしょうか。』
───或る殺人者の独白より
- 2008年03月24日(月) 00:33
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