monologue
『私が思うに、世間一般では人間の三大欲がどうの、と知れ渡っているようだが、考えてみたまえよ、三大欲として挙げられる食欲・性欲・睡眠欲は、全て種が、肉体が、存続するための欲であることからしてこれらは「残存欲」「存在欲」と括ることができるのではないかね。然し、この場合に於いて、哲学的観点から鑑みるに、存在と生活とは明らかな違いがあるのではないかね。多くの方は先程の三大欲を生存の為の要素欲と捉えているようだが、私は、甚だ違うと言いたい。其等は存の要素を含有してはいるかも知らないが、生の要素は、断じて、欠片も有してはいない。其等三大欲の出づる由縁である哲学に於いて、我ら人間にとっての「生きる」とは、思考の連鎖であるからだ。思考を止めた肉体的残存ならば、ええ、不朽の死体と等しかる存在に過ぎないのであります。人間として、理性の保持者として、生活に必要な要素は、残存欲・存在欲唯とは言い難いのではありませぬか。ならば、人間の理性を理性たる物に仕立て上げているものは何なのか、その迅速な究明が要されるのではありませぬか。然し我々は幸いだ、我等人間の飽くなき探求心は、古より、紛うことなく、
快楽へと向けられ続けてきたのであります。更には、快楽、それも文化的側面を有しない、原初的な快楽探求の終の静寂は、等しく破壊、死殺という、生存とはかけ離れた、自滅的な場所に居住をひたすらに続けてきたのであります。これらを考慮するに、我々人間には「存在欲」と「自滅欲」という二大欲として括られた数多の願欲が込められているのではないでしょうか。此等二大欲の多数派に因って少数派が疎んぜられてきたことを鑑みるに、私の、罪と裁かれた行為も、人の業として、愚かなる彼の者等が、至福と称される甘利を貪るに等しく値する、賞賛の、羨望の眼差で付価されるのは自然の、人間の本来の摂理と云えるのではないでしょうか。』
───或る殺人者の独白より
快楽へと向けられ続けてきたのであります。更には、快楽、それも文化的側面を有しない、原初的な快楽探求の終の静寂は、等しく破壊、死殺という、生存とはかけ離れた、自滅的な場所に居住をひたすらに続けてきたのであります。これらを考慮するに、我々人間には「存在欲」と「自滅欲」という二大欲として括られた数多の願欲が込められているのではないでしょうか。此等二大欲の多数派に因って少数派が疎んぜられてきたことを鑑みるに、私の、罪と裁かれた行為も、人の業として、愚かなる彼の者等が、至福と称される甘利を貪るに等しく値する、賞賛の、羨望の眼差で付価されるのは自然の、人間の本来の摂理と云えるのではないでしょうか。』
───或る殺人者の独白より
- 2008年03月24日(月) 00:33
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